日本のディレイニー受容

久しぶりのブログ更新です。

大学の課題でディレイニーについて文章書いたのですが、せっかくなのでここに掲載します。日本のディレイニー受容についてまとめました。


 
 本稿では、アメリカのSF作家、サミュエル・R・ディレイニーの作品の、日本における受容史を確認する。まず、ディレイニーとはどのような作家なのか。彼の来歴を簡単に紹介したい。

 ディレイニーは、1942年にニューヨークで生まれた。20歳のとき(実は商業誌への記事執筆の経験はあったのだが)、デビュー作である『アブタ-の宝石』(1962年)を上梓してから、わずか5年で7本の長編を世に送り出したうえに、『バベル‐17』(1966年)では、翌年のネビュラ賞長編部門を受賞した。当時の業界は、ディレイニーを指して「早熟の天才」と称したらしいが、その理由は、こうした履歴を見れば判然とするだろう。
30代を迎えたときに書かれた超大作、『ダールグレン』(1975年)は、SF小説としては類のないほどのベストセラーとなるが、これを機に彼は、SFから写実主義的な現代小説の執筆に注力していく。また、このころから構造主義言語論に影響を受けた評論を多数執筆し、講師として大学へ迎え入れられるなど、対外的な活動も多くなっていった。
そして、40代、50代になると、大学の教授として教鞭を執るかたわらで、みずからもその当事者として、性的マイノリティの人々を主題とした小説や評論、ルポルタージュなどを発表した。2013年には、アメリカSF&ファンタジー作家協会から、グランドマスターの称号を受けるなど、現在では、業界からある種の「レジェンド」的存在と見なされている。以上が、ディレイニーのこれまでの歩みである。

ここで指摘しておきたいことは、ディレイニーは、いわゆる‘‘ニューウェーブSF‘‘というSFジャンルに属する作家だという事実である。議論の煩雑を避けるため、その語の詳しい説明は控えるが、さしあたりここでは、「1960年代に英米で起きたSFの変革運動とそれに呼応した作品群。おもに文章と人物描写の洗練化をはかった」という理解でかまわない。ディレイニーが、ほかのSF作家と比べて圧倒的に抜きん出ていたのは、なによりも文章への並々ならぬこだわりだった。彼は自身の評論で、次のように直截に語る。


ひどい文体によっていちばん傷つくのは、訓練不足の素朴な読者なのだ。悪文は、語から語へのイメージを修正していくのに必要以上の精神エネルギーを使い、修正そのものも実りは少ない。だからこそ、それは悪文なのだ。(サミュエル・R・ディレイニー「約5750語」 『SFマガジン1996年8月号』p.19)


 他方で、ディレイニーのSFは、「娯楽性」という点もしっかりと意識されている。これが、同時代のSF作家のなかにおいて特異さを放っているゆえんだろう。ニューウェーブSFの作品群は、その文学的表現の追求のために、ある種のストーリー展開がおろそかになってしまう傾向があった。興味深いことに、2017年にも新作が公開された映画、『スター・ウォーズ』へのSF業界からの評価が、その違いを明確に示す。このシリーズの第一作目に対して、例えば、ニューウェーブSF運動を牽引した作家であるJ・G・バラードは、「まったく真剣さのない最初のSF映画だ」とこき下ろし、そのほかの作家も、ほとんど断罪するようにして否定的な態度を見せている。ディレイニーの場合は、むしろ、‘‘Great New S.F.Film‘‘ だとして賞賛を送り、「これまでに観てきた二時間の映画のうちでは、いちばん短く感じられる作品だった」と述べている。バラードとディレイニーは、英米間のニューウェーブSFにおけるそれぞれの代表的存在だが、両者のSF観の相違はここをもって明らかだろう。
デビューから一貫して、ディレイニーは、「ヒロイック・ファンタジー」あるいは「スペース・オペラ」を描き続けてきたのであり、その理由は、純粋に、彼が「冒険小説好き」だからにほかならない。さらに、評論家の宮城博は、邦訳された『アブタ-の宝石』の解説において、ディレイニーと、19世紀末のフランスの耽美主義作家との影響関係に着目している。実際に、ディレイニーが、ランボーコクトーユイスマンスといった作家を耽読していたという事実を挙げ、彼らの文学のキッチュなモチーフを、SFを書く際にも意識していたのではないか、と宮城は指摘する。この主張は、端的に言って、ひじょうに的確だと言わざるをえない。ディレイニー自身もこう述べている。


SFがめざすヴィジョンは、詩のヴィジョンとたいへん近いようにわたしには思われる。とくに十九世紀象徴派の詩人たちとの近親性は大きい。作品がどれほどきびしい規律のもとに書かれていようと、‘‘非現実‘‘の世界に移行するためには、神秘主義と触れ合う必要がある(同上p.21)


 このあとにディレイニーは、「象徴派の詩人たちと現代アメリカ思弁小説との関連をもっと徹底的に調べたものをわたしは読みたい」と言い添える。宮城がこのテクストを読んでいたかどうかはわからないが、訳出されたのがずっと後のことと考えると、先見的な議論を展開していたと見るべきだろう。

 話がさまざまな方向へ行ってしまったが、これでディレイニーの作家的立場は了解してもらえたはずだ。本稿の目的は、日本のディレイニー受容についてであった。「ディレイニー」の文字は、いつ日本へ輸入されたのだろうか。以降、その最初期から検討したい。

 ここに、いささかユニークなテクストがある。SF翻訳家の伊藤典夫によるエッセイ、「ディレーニイディレイニー」である。ここで書かれているように、実は、「Delany」の日本語表記には、出版社によって微妙なバラつきが生じていた。早川書房の場合は、「ディレーニイ」または「ディレイニー」と表記していたり、サンリオSF文庫を読むと、今度は「ディレーニ」などと訳されており、統一がはかられることはなかった。しかし、現在では、「Delany」は、いま私が記しているように「ディレイニー」の表記に固定したといってよいだろう。『ドリフトグラス』は、日本でもっとも新しく出たディレイニーの邦訳書だが、そこには「サミュエル・R・ディレイニー」の著者名が印字されている。考えてみれば、この帰着は自然なことであったと言うほかにない。なぜなら、初の「Delany」の日本語訳は、ほかならぬ「ディレイニー」であったのだから。そして、そう訳すことを決めた人物こそ、まさにそのエッセイを書いている伊藤典夫本人であった。


 わが国でディレイニーの名前が最初に活字になったのは、一九六八年五月号の本誌〈SFスキャナー〉のページである。当時これは最新のSF情報を伝えるぼくの連載コラムだった。ぼくはその号でネビュラ賞のニュースを伝え、彼の『バベル‐17』の粗筋紹介をしているのだが、そのときの表記がすでに「ディレイニー」!(伊藤典夫ディレーニイディレイニー」 『SFマガジン1996年8月号』p.33)


 「Delany」は、東洋へ伝来されたときから「ディレイニー」であり、その後「ディレーニイ」、「ディレーニ」という変遷を経ながらもまた「ディレイニー」へとたどり着いたのである。ここで、ひとりの作家の命名の歴史について振り返ってみたが、無論、ここで大事なのは、1968年こそ、ディレイニー日本上陸の年だということである。そして、2年後の1970年には、ハヤカワ・SF・シリーズから『バベル‐17』の邦訳が出版され、SF作家サミュエル・R・ディレイニーの全貌が明らかとなる。

 ところで、この当時のSF業界と日本国内全体の空気は、どのようなものだっただろうか。1964年にはオリンピックも経験したこの国は、まさに高度成長の只中におり、ディレイニー初邦訳と同年に開かれた大阪万博では、「進歩と調和」をスローガンに、SF作家の小松左京もプロデューサーにむかえられた。私個人の感覚でいえば、この時代は、「SFと社会が協調していた時代」と呼ぶことができるのはないか、と考える。つまり、それは、科学技術の進化と並走して国家全体の豊かさも向上するはずだ、という確信に基付いた動きだったのである。
 しかしながら、「SF」と「社会」のこの癒着は、むしろSF的想像力の幅を狭くしてしまう弊害があったことを指摘しておかなければならない。日本においてニューウェーブSF運動を推進した作家、山野浩一が、以下のように述べている。


 楽しみにしていた月へ降りた十年前ぐらいにみんなが考えていたことは、月へ行けばひじょうにすばらしいことがあるんじゃないか、具体的にはそう予想しないかもしれないけれど精神的にはすごく大きな夢が広がるんじゃないかとおもっていたら、到達したとたんにありとあらゆる夢がすべて終わってしまった。(山野浩一荒俣宏松岡正剛『SFと気楽』p.20)

 
世界が目指していた「月」は、いわば「坂の上の雲」であり、たどり着いた達成感のあとに残るのは、単なる虚しさだけだった。「SF」の夢が、「社会」によって実現したとき、つぎに噴出するのは、あらたなる未知との出遭いへの夢想か、科学発展の功罪に対する批判的まなざしのどちらかである。前者は、70年代後半から勃興するハリウッドSF映画ブームにつながり、後者は、ニューウェーブSFの問題を日本にもたらす契機となった。山野浩一は、「シリアスに現代という科学技術の世界を考え直」すようにわれわれに訴えたが、彼によって創刊されたレーベル、サンリオSF文庫(創刊1979年~廃刊1987年)は、そのような理念に則ったSF小説をつぎつぎと日本へ紹介した。そして、ディレイニーも、この流れから人口に膾炙していくのである。こうした土壌が整うまでには、初紹介からおよそ10年の年月が必要だった。翻訳家の米村秀雄は、「『バベル‐17』しか訳されていない状況では(…)評価するにしても充分なものにはなりえない」と述べていたが、その真意を把捉するには、まず以上の背景を認識する必要があるだろう。

 サンリオSF文庫から発刊されたディレイニーの小説は、『時は準宝石の螺旋のように』(1979年)、『エンパイア・スター』(1980年)、『アブタ-の宝石』(1980年)の3タイトルである。それぞれ、著者の短編集、代表作、デビュー作が刊行されたことによって、ディレイニーの作家的多面性が理解されはじめたといえるだろう。ただ、作品が多く訳された事実よりも、その多面性を受け止める態勢が整ったということを重要視するべきである。この時代から、若手のSF翻訳家が多く台頭してきた点を見逃してはならない。『サンリオSF文庫総解説』所収の、山野浩一と、翻訳家/書評家の大森望との対談では、そのことについて、1970年代のSF翻訳界を「大空白時代」だとしたうえで、つぎのように語られている。


   大(引用者注:大森望)逆に、翻訳が出ないおかげで、しかたなく原書で読みはじめて、SFマニアがたくさん生まれた。
   山(引用者注:山野浩一)で、その中から何人かが、翻訳家や評論家になり、いろんな形で育っていることも事実なんですよね。
                       (『サンリオSF文庫総解説』p.17)


この話は、SF業界における「ファンダム」の形成とも深く関わっているが、思い起こせば、サンリオSF文庫の『エンパイア・スター』も、訳者の米村秀雄が、自身の同人誌上で訳出したものをあらためて書籍化したものだった。そのような「ファン活動」から、ディレイニーひいてはニューウェーブSF作品全体の、日本における受容は支えられたのである。
『時は準宝石の螺旋のように』の、米村秀雄の解説は、ディレイニーの経歴からその作家的特性までを詳らかにしたテクストであり、作風の特徴から、第一期、第二期、第三期と時期的に区分けしたうえで、それぞれの変遷の内実にせまっている。また、『アブタ-の宝石』の解説では、宮城博が、処女作であるそれには、のちの作品の要素がすべてあらわれているとして、その要素を分解して説明している。それらを総合して図解すると以下のように表せる(未訳の作品は原文で表記)。


第1期 『アブタ-の宝石』~『The Fall of the Towers』3部作(初期長編)イメージの鮮烈さと緻密な構成         
                                   
第2期 『エンパイア・スター』~『ノヴァ』(絶頂期)スタイルの確立⇒①表現力の向上 ②作品構造の複雑化 ③テーマの多様化 ④結末の不完全性

第3期『ダールグレン』~『Triton』(大作)文章の写実化

          ↑↑
[a] テーマ (1)探求の物語 (2)善悪の相対性 (3)精神の成長
[b]スタイル (1)荒唐無稽な冒険譚 (2)隠喩的文体 (3)魅力的な人物


 こうした努力によって、それまで伝えられていなかったディレイニーの魅力が、具体的な解説を通して理解されるようになった。それから、1980年代に入ると、ハヤカワ文庫から、最高傑作との誉れも高い『ノヴァ』が邦訳された(1988年)。また、巽孝之の『サイバーパンク・アメリカ』では、アメリカ留学中の巽が、コーネル大学にておこなわれたディレイニーの集中講義を受講したときのエピソードについて、対談も交えて書かれている。そこでは、当時のSF的趨勢だった「サイバーパンク」と、ディレイニーとの関係が丹念に読み解かれ、彼のあらたな〈像〉を発見するものだった。
1990年代では、『アインシュタイン交点』が、原著からおよそ30年の時を経て邦訳された(1996年)と同時に『SFマガジン』上ではじめて特集が組まれ、ふたたびスポットライトが当たることになる。そのときの『SFマガジン』は、「サミュエル・R・ディレイニー」と「新世紀エヴァンゲリオン」の二大特集号だった。そのなかのエッセイで、大森望は、『エンパイア・スター』のラストと「エヴァンゲリオン」の最終話の類縁性について(冗談半分で)述べているが、ここまで歴史を追えばわかるように、「外宇宙 outer space」の作品を描きながら、深層では「内宇宙 inner space」の世界を構築し、「電脳空間 cyber space」の萌芽さえものぞかせていたディレイニーが、ここにきてもう一度「内宇宙 inner space」の作家として読まれるといった、ある種パラレルな読解の系譜が編み出される。気付けば、ディレイニーは、初紹介の1970年代から、つねに新しい「読み」の可能性を提示し続ける作家だった。ここで、彼の代名詞である「マルチプレックス」という語を想起することはまったく正しい。時代が進むたびに、その読解可能性はまた拡がっていくにちがいないのだ。
 
 最後に現状について触れておきたい。2010年代には、メガトン級の分量を誇る問題作、『ダールグレン』の邦訳が出版された(2011年)。災害によって荒廃した都市を舞台とするこの小説と、同年に発生した東日本大震災との関係を指摘する向きもあるだろうが、そのような議論をおいておくにしても、ただSFにとどまらない作風の幅を示す本書をもって、ディレイニーは再三、業界の話題をさらう存在となった。2014年には、ディレイニーの全短編を網羅したコレクション『ドリフトグラス』も刊行され、サンリオSF文庫絶版にともない、多くの短編を読むことが困難だった状況も改善されたことで、現代の読者をも獲得できるような地平がひらかれた。
 さきに主張したように、ディレイニーは、時代の変遷とともにその読み方も変わるような、まさに「マルチプレックス」な作家である。2010年代も終わろうとするいま、あらたな ‘‘plex‘‘ が要請されている。『エンパイア・スター』のなかで、〈全知の観察者〉ジュエルはこう言っていた。「あなたがたが知覚したものをどう整理するか、ある時点から別の時点へどのように旅をするのか、その問題はあなたがたに残しておくことにする」(『エンパイア・スター』p.154)。この台詞は、ディレイニーから読者へ与えられた、ひとつの挑戦状ではないか。だとすれば、私はこれからもディレイニーを読み続けていかなければならないだろう。

 
 参考文献

サミュエル・R・ディレーニ『時は準宝石の螺旋のように』伊藤典夫浅倉久志他訳、サンリオSF文庫、1979年
サミュエル・R・ディレーニ『エンパイア・スター』米村秀雄訳、サンリオSF文庫、1980年
サミュエル・R・ディレーニ『アブタ-の宝石』下浦康邦訳、サンリオSF文庫、1980年
サミュエル・R・ディレイニー『バベル‐17』岡部宏之訳、ハヤカワ文庫SF、1977年
サミュエル・R・ディレイニーアインシュタイン交点』伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫SF、1996年
サミュエル・R・ディレイニー『ノヴァ』【新装版】伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫SF、2005年
サミュエル・R・ディレイニー『ダールグレン』大久保譲訳、国書刊行会、2011年
サミュエル・R・ディレイニー『ドリフトグラス』浅倉久志伊藤典夫、小野田和子、酒井昭伸深町眞理子訳、国書刊行会、2014年

山野浩一荒俣宏松岡正剛『SFと気楽』工作舎、1979年
巽孝之サイバーパンク・アメリカ』勁草書房、1988年
牧眞司大森望(編)『サンリオSF文庫総解説』本の雑誌社、2014年

SFマガジン 1996年8月号』早川書房
SFマガジン 1997年8月号』早川書房

サンリオSF文庫目録 1980年夏」株式会社サンリオ




 

ディレイニーとセカイ系の話

深夜3時くらいに、僕が世界で一番好きな小説であるところの、サミュエル・R・ディレイニーの『エンパイア・スター』を再々々々々読 (もっと読んでるかも) して心身ともにエモくなったのでそのままの勢いで『AIR』原作のラストシーンを観賞するというオタク臭いシークエンスをキメました。
久々にこういうムーヴをして思ったのは、「やっぱり自分の好きなものってなにかしら共通したアウラがあるんだな」ということです。ディレイニー麻枝准ってなにも繋がりがないように見えて、もちろん実際そうではあるんだけど、底ではたがいに呼応しているような気がするのです。分かる人には分かるんじゃないかと期待したい。
そんなことをぼんやり考えていたら、前にディレイニーと「セカイ系」について書いた文章の存在を思い出したので、ここに載せます。印象批評でけっこう適当なこと書いてますが、言いたいことが伝われば幸いです。





“It darkles,(tinct,tint)all this our funanimal world.”


この神話は、ジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイク』の引用から始まる。訳者の伊藤典夫氏が補注で記しているように、表層的な意味とそこに隠された別の意味の二層構造を成しているこの一文は、巧妙に織り込まれた数々のメタファーによって多重的に構築された本作全体を縮約したかのような印象を与える。ディレイニー自身の言葉を借りれば、『アインシュタイン交点』をはじめとする彼の生み出す物語は、無限の奥行きがある巨大な「建築物」なのだ。

本作は遠未来の地球を舞台としており、主人公である青年ロービーは、恋人を殺した人物を探求する旅のなかで様々な仲間との出会いを通して成長していく、という一見するときわめて通俗的なファンタジーにしか思えない内容であるが、その深奥には作者の経歴を反映した社会的な暗示や「メタSF」としての機能など一読ではとても掴みきれないような無数の読解可能性を有している。そしてこれは彼の多くの小説に共通する特徴だ。「考察」とは特に「セカイ系」と呼ばれるジャンルに属する作品群において活発に行われていた現象だが、『アインシュタイン交点』ひいてはディレイニーの小説全般はまさにそうした考察を誘引するような構造を備えている。

もうひとつ『アインシュタイン交点』の「セカイ性」を考えるうえで重要なのは、途中で挿入される「作者の日記」と題したエピグラフである。

“結末が有効であるためには、曖昧でなくてはならない。” (『アインシュタイン交点』p.212)

これを読んで筆者が想起したのは、高瀬司氏が編集を務めるカルチャー誌『Merca β03』(2016) 所収の座談会「セカイの記憶を継いでいくこと」上における、坂上秋成氏の発言だ。アニメ版『AIR』をテーマとしたこの討論で、坂上は「セカイ系」というタームについて、「論者によって使い方が異なり過ぎているので (…) あまり自分で使用したくない」と前置きしつつ、つぎのように述べている。


“(セカイ系について)自分なりに最小限の定義をするとすれば、「物語に巨大な余白を作る作品」ということになると思います。意図的に説明不足になっている箇所を作ることで、論理や設定よりも感情を優先させてしまう技法と言ってもいい。(…) 「とにかくそういうものなんだ」と消費者に納得させる構造を持っているものをセカイ系と言うべきかなと、最近は思っています。” (『Mercaβ03』p.31。括弧は引用者注)


坂上のこうした「セカイ系観」には自分も同意したいのだが、この定義は、先述したディレイニーの作品に対する考え方と近いものを感じないだろうか。「余白を作る」すなわち「曖昧にする」ことでかえって魅力を引き出すという方法。実際『アインシュタイン交点』やその後の『ダールグレン』などでは舞台設定やストーリー展開の注釈はほとんどない 。『ほしのこえ』や『最終兵器彼女』において社会描写が欠落していたり、坂上の言うように「『イリヤの空、UFOの夏』で、伊里野加奈がブラック・マンタに乗った過程が説明されない」のと同じように。

上記のことを踏まえると、多観的な作品設計といい、ディレイニーセカイ系的感覚を早くも先取りしていた作家だといえるかもしれない。一般的に彼はSF作家であるとともに黒人/ゲイ作家であると認識されているが、セカイ系との近似を確かめることによって、今まで言及されてこなかった新たな一面が我々の前に浮かび上がってくるのではないか。

ディレイニーセカイ系の隠れた先駆者である。その壮麗な建物を仔細に点検することによって、米国ニューウェーブSFと国産セカイ系の想像力が交錯する奇妙な「交点」を見出だすことができるだろう。


※なお、この文章は2年前に僕が参加した同人誌『麻枝准トリビュート』の有志メンバーによって運営されるブログ「sekai」( http://the-sekai.tumblr.com/) から転載しました (一部修正) 。

AIR メモリアルエディション 全年齢対象版

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アインシュタイン交点 (ハヤカワ文庫SF)

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国内ニューウェーブSFの父

 

 つい一週間前にこんなツイートをしたばかりだった。本人のブログ等で現状は把握できていたものの、まさかすぐにそのときが来るとは思っていなかったので、一瞬言葉を失ってしまった。本日、国内ニューウェーブSFの第一人者、山野浩一氏が亡くなられたのである。

 

 2011年に、創元SF文庫から、『鳥はいまどこを飛ぶか』と『殺人者の空』という二冊の山野浩一傑作選が刊行されたが、僕はそれらをちょうど今年の一月、成人式が終わった直後に丸善本店で買った。恥ずかしながら、それまで小説家としての氏の活動はまるでチェックしていなかったのだが、「多元世界の詩情」「内宇宙の原野へ」という帯文に触発され、読まなければならないと思い立つと、前日に都内の大型書店すべての在庫を確認した。二冊ともすでに絶版だったにも関わらず(電子版ではあったが、紙で読みたかった)、奇跡的に丸善にはそれぞれ在庫微少ながら収蔵してあった。スーツのまま書店に直行してSFの棚を見たが、本はなかった。そんなはずはないと慌てて店員に聞くと、「棚にないならないですね~」と言われながら再度確認してもらい、「あるはずなんですけどあるはずなんですけど……」と訴えて念のため下の引き出しを開けてもらうと……一冊ずつあった。店員さんに怪訝な顔をされながらも新品本を手に入れることができ、結果として、二十代になって初めて購入した本が山野さんの小説となった。

 

 僕は山野さんの存在を、『季刊NW‐SF』(69年に創刊された、国内におけるニューウェーブSFの先導的文芸雑誌)や、サンリオSF文庫の名前とともに知った。そのどちらにも中核的存在を担っていた山野さんは、海外の前衛的な文学やSF小説の紹介に多大なる心血を注ぎ、おそらく山野さんがいなければ、フィリップ・K・ディックサミュエル・R・ディレイニーに耽溺しているいまの自分はいなかったように思う。また、『季刊NW‐SF』の巻頭言に書かれている山野さんの時代/批評意識も、非常にアジテートされるものとして印象に残っている。山野浩一はSFのみならず、日本人作家のなかでもっとも重要な人物の一人であることは間違いないだろう。少なくとも自分はそう思っている。

 

 この件で想起したのは、山形浩生氏の「1997年」と題されたブログ記事である (http://cruel.org/wired/yamagata403.html) 。この記事では、アレン・ギンズバーグウィリアム・バロウズキャシー・アッカー、そしてジュディス・メリルの死について語られたが、1997年はニューウェーブSF、あるいはサンリオSF文庫的な精神がひとつの終わりを迎えた時代だと、個人的には思う。それから20年後に、またしても一人の「象徴」がいなくなったことには、なんらかの時代的符合を見たい気持ちを引き起こすが、同時に今年はニューウェーブSF再考の契機を生んでいるという事実もある。J・G・バラードの全集や、現在もっとも旺盛にニューウェーブSF批評を展開している評論家、岡和田晃氏の新刊などが続々と出ている。そして近刊では、なにより荒巻義雄氏の『もはや宇宙は迷宮の鏡のように』。本人曰く「遺書」として書かれたそれは、彼の論敵であるとともに、国内ニューウェーブSFを共に支えた山野さんの存在抜きには絶対に読めないだろう。2017年は、さまざまな意味でニューウェーブSFの「終わり」と「始まり」を迎える年になるかもしれない。

 

 いろいろと書きたいことを書いてしまったが、大好きな作家が亡くなるという経験は想像以上にショックだった。これから何度もこのようなことは起きるのだろうし、そのたびに今回みたくいろいろと考えてしまうのかなとぼんやり思った。とりあえず、『花と機械とゲシタルト』の復刊をぜひ希望したい。

 

 最後に、山野さんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

鳥はいまどこを飛ぶか (山野浩一傑作選?) (創元SF文庫)

鳥はいまどこを飛ぶか (山野浩一傑作選?) (創元SF文庫)

 
もはや宇宙は迷宮の鏡のように

もはや宇宙は迷宮の鏡のように

 

 

花と機械とゲシタルト (NW-SFシリーズ (2))

花と機械とゲシタルト (NW-SFシリーズ (2))

 

 

 

 

 

 

「ニューウェーブSF」を知るための3冊

英SF作家のブライアン・W・オールディスは、SF史を通覧した著書『十億年の宴』のなかで、メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』(1818) を世界初のSFと位置づけました。この事実は、来年でSFというジャンルが生まれてから200年目を迎えることを意味します。この間に出てきたSF作品は数知れませんが、テーマや舞台設定の差異によって、SFはさまざまなカテゴリーに分類されているのは今さら言うまでもないでしょう。ハードSF、サイバーパンクスペースオペラワイドスクリーン・バロック等々……。そして、本稿で取り上げる「ニューウェーブ」もまた、そうしたSFの下位ジャンルのひとつです。1960年代に訪れたSFの〈新しい波〉は、科学礼賛的であった従来のSF小説のあり方に異を唱え、結果的に主流文学とSFの橋渡しをする役割を果たしました。「ニューウェーブ」は僅か10年ほどで沈静化していきますが、このような運動は、業界全体を活発にさせるカンフル剤を「黄金時代」を経たSF界に投与した意味においてきわめて重要です。

では、「ニューウェーブSF」とは具体的にどのようなSFを指すのでしょうか。その特徴は、翻訳家の増田まもる氏が運営するサイト「speculative japan」内の記事「SFセミナー2008「specuatlive japan 始動!」聴講記」(著:岡和田晃氏) に簡潔に書かれているので、一部を引用したいと思います。


おおまかに説明すればニューウェーヴ(SF)/スペキュレイティヴ・フィクションとは、狭義には1960年代を中心に起こったSFの変革運動のことを意味する。
例えば、近代文学が個人と世界の間の軋轢を描くことで内側から社会性を描くものだとすれば、従来のSFは、科学というフレームをもって外側から社会のモデルを浮き彫りにするものだった。
SFのテーマとしてよく用いられる「外宇宙」は、いまだ謎に満ちた空間でありながら、我々が生きている現在を相対化するにはまことに都合のよいものである。
しかしながら、「外宇宙」に代表されるフレームのみにこだわりすぎると、それによって囲い込まれる主体そのものに対する考察がおざなりになる場合がある。
世界に囲い込まれる主体が、世界そのものを見詰め返すという観点――それを例えば「内宇宙」と呼ぶとしよう――も、忘れられるべきではない。
いや、ともすれば「外宇宙」以上に「内宇宙」は重要となる。
かような問題意識から、パルプ雑誌の申し子として「ハリウッド的」なアメリカの代名詞ともとられたSFというジャンルを、再定義しようという動きが生まれた。
それがニューウェーヴSF、あるいはスペキュレイティヴ・フィクションの歴史的な出発点である。

http://web.archive.org/web/20140318090240/http://speculativejapan.net/?m=201308


要するに、科学や宇宙などといった外側のきらびやかな装飾に拘りすぎるのではなく、人間の内面や主体性にフォーカスしたSF。これが一般的に「ニューウェーブSF」と呼ばれているものです。ちなみに、ここで「スペキュレイティヴ・フィクション」という言葉が出てきましたが、これは無論「SF=Science Fiction」に相対する「SF=Speculative Fiction 」に他なりません(ニューウェーブSFの代表的作家J・G・バラードは、自身のSFに対するスタンスを記したテキストで「SFは宇宙に背を向けるべきだ」とも主張しています)。思弁性と文学性を追求したSFには、文学的実験や性描写などこれまで縛られていたタブーを破っていく野蛮さとパンク精神を秘めていたものだったといえます。

また、じつはニューウェーブ系の作品が近ごろ再び注目を集めていることも見逃してはなりません。この辺の事情に関しては、書評サイトの「シミルボン」で今年の1月から連載されている藤元登四郎氏のコラムでも触れられています(https://shimirubon.jp/columns/1678100) が、『SFが読みたい! 2017年度版』のベストSF2016海外編1位は、米ニューウェーブSFの旗手ハーラン・エリスンの『死の鳥』が獲り、二年前には国内思弁SFの巨匠、荒巻義雄氏の全集が刊行されたことも記憶に新しいかと思います。ニューウェーブSFは着実に再評価されており、いまそれらの小説を読むことは過去の遺産に思いを馳せることを意味しない、むしろSF界の最新鋭をキャッチする営みとなるはずです。

前置きが長くなってしまいましたが、では数あるニューウェーブSF小説のなかからいったいどれを読めばいいのでしょうか。今回筆者が独断で「ニューウェーブ感」を味わえるだろう3冊をセレクトしたので、これを参考にぜひその波に思いきりダイブしてみてください。なお、〈基本編〉〈応用編〉〈理論編〉の三段階を設けたので、順番に紹介していきます。

〈基本編〉

『ニュー・ワールズ傑作選 No.1』マイケル・ムアコック浅倉久志伊藤典夫訳 (ハヤカワ・SF・シリーズ)

まさにニューウェーブの源泉となった英SF雑誌『ニュー・ワールズ』から一部を抜粋して邦訳した選集。先述したJ・G・バラード、ブライアン・W・オールディス、そしてトマス・M・ディッシュなどニューウェーブの「代表選手」が一同に会しています。本書に入っているバラード「暗殺凶器」は断章から成る非線形の物語であり、本人は〈濃縮小説〉とそれを銘打ちました。また、浅田彰氏はバラードとの対談のなかでそれらの作品群を「ポップ・アート的な現実の断片の羅列」(浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』p.150) と呼び、評価しました。バラードの作家人生でもっとも尖ってた時期に書かれた短編のひとつです。
本書のラストを飾る、ディッシュ「リスの檻」にも触れておきます。訳者のひとり伊藤典夫氏が「〈新しい波〉の最高傑作」と絶賛したこの短編は、椅子と机とタイプライターしかない部屋に閉じ込められた1人の男を描くものです。なぜか定期的に送られてくる新聞を頼りに小説や詩を書きはじめ、「小説内小説」と男の懊脳が混じり合う。そして"彼ら" はこう言うでしょう。「ようし、ディッシュ、もう出てもいいぞ」と……。
加えて巻末の伊藤典夫氏による「ニュー・ワールズ小史」も、当時の歴史を概観するためには必読のテキスト。「ニューウェーブSFの典型」はすべてここに収録されています。


〈応用編〉

『新しいSF』ラングドンジョーンズ編 野口幸夫訳 (サンリオSF文庫

新しいSF (1979年) (サンリオSF文庫)

新しいSF (1979年) (サンリオSF文庫)

本書の訳者あとがきにはこんな記述があります。

『新しいSF』は、よき"入門"書とはいえないだろう。これはむしろ、中級ややや上級にかけての、トリッキーな"嵌め手"の範例集と見るべきものだ。

この一文は『新しいSF』に収められている作品の性格をよく表しています。小説、詩、対談とラインナップも豊富な本書は、前掲書をはるかに上回る遊戯性と若干の痛々しさを含んだ15編を掲載。個人的な感想を言えば、ほとんどの作品は理解不能だが、文体芸にせよストーリーにせよ、良い意味でも悪い意味でも「こういうものをニューウェーブというんだな」と妙に納得できる一冊に仕上がっていると思います。とりわけ、ジョン・スラデック「使徒たち--経営の冒険」はヤバい。ウィリアム・バロウズのカットアップをさらに推し進めた、さまざまなパロディを「自ら」作り上げてそれをランダムに配置して読者を幻惑させる、スラデックの言語遊戯の極みを読むことができる傑作です。J・G・バラードジョージ・マクベスの対談「新しいサイエンス・フィクション」は、SFの批評性を暴き出し、バラード自身の自己作品解説にもなっています。この対話が当時BBCで放送されていた事実には驚き。
最初から本書を読むというのは、エロゲでいうといきなり『最果てのイマ』からプレイするようなものですが、それも覚悟さえあれば十分楽しめるかもしれません (保証はできませんが) 。いずれにせよここには「ニューウェーブ感」がぎゅっと濃縮しています。


〈理論編〉

『SFに何ができるか』ジュディス・メリル浅倉久志訳 (晶文社

最後は小説ではなく、SF界きってのアンソロジストジュディス・メリルによるエッセイ集を紹介します。SFの物語造形を「教育的ストーリー」「伝道的ストーリー」「思弁小説・スペキュレイティヴ・フィクション」に分けたメリルは、最後の分野にこそSFの未来があることを主張するとともに、バラード、ディッシュ、ディック、ディレイニー等の作家について論じ、評価しました。ニューウェーブSFを中心に扱った唯一の評論であり、もちろん本書を読むことで上二冊のような小説もよりよく理解することができると思います。

以上3冊を紹介しましたが、ここまで書いてきて判明したのだがなんと全て絶版という……。しかも、『ニュー・ワールズ 傑作選No.1』にいたってはAmazonの商品ページすら存在しない有り様。古本屋などで中古を探してもらうほかありませんが、例えばディッシュの「リスの檻」なんかは、国書刊行会から出てる『アジアの岸辺』という短編集に収録されていますし、東京創元社から刊行中の『J・G・バラード短編全集』にはタイトル通りバラードの生涯書いた短編を全5巻で全て読むことができます。

このように完全に読めなくなったわけではないので、あらゆる経路でぜひこれらの本を読んでほしいと思います。今さらニューウェーブなのではなく、今こそニューウェーブ