ディレイニーとセカイ系の話

深夜3時くらいに、僕が世界で一番好きな小説であるところの、サミュエル・R・ディレイニーの『エンパイア・スター』を再々々々々読 (もっと読んでるかも) して心身ともにエモくなったのでそのままの勢いで『AIR』原作のラストシーンを観賞するというオタク臭いシークエンスをキメました。
久々にこういうムーヴをして思ったのは、「やっぱり自分の好きなものってなにかしら共通したアウラがあるんだな」ということです。ディレイニー麻枝准ってなにも繋がりがないように見えて、もちろん実際そうではあるんだけど、底ではたがいに呼応しているような気がするのです。分かる人には分かるんじゃないかと期待したい。
そんなことをぼんやり考えていたら、前にディレイニーと「セカイ系」について書いた文章の存在を思い出したので、ここに載せます。印象批評でけっこう適当なこと書いてますが、言いたいことが伝われば幸いです。





“It darkles,(tinct,tint)all this our funanimal world.”


この神話は、ジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイク』の引用から始まる。訳者の伊藤典夫氏が補注で記しているように、表層的な意味とそこに隠された別の意味の二層構造を成しているこの一文は、巧妙に織り込まれた数々のメタファーによって多重的に構築された本作全体を縮約したかのような印象を与える。ディレイニー自身の言葉を借りれば、『アインシュタイン交点』をはじめとする彼の生み出す物語は、無限の奥行きがある巨大な「建築物」なのだ。

本作は遠未来の地球を舞台としており、主人公である青年ロービーは、恋人を殺した人物を探求する旅のなかで様々な仲間との出会いを通して成長していく、という一見するときわめて通俗的なファンタジーにしか思えない内容であるが、その深奥には作者の経歴を反映した社会的な暗示や「メタSF」としての機能など一読ではとても掴みきれないような無数の読解可能性を有している。そしてこれは彼の多くの小説に共通する特徴だ。「考察」とは特に「セカイ系」と呼ばれるジャンルに属する作品群において活発に行われていた現象だが、『アインシュタイン交点』ひいてはディレイニーの小説全般はまさにそうした考察を誘引するような構造を備えている。

もうひとつ『アインシュタイン交点』の「セカイ性」を考えるうえで重要なのは、途中で挿入される「作者の日記」と題したエピグラフである。

“結末が有効であるためには、曖昧でなくてはならない。” (『アインシュタイン交点』p.212)

これを読んで筆者が想起したのは、高瀬司氏が編集を務めるカルチャー誌『Merca β03』(2016) 所収の座談会「セカイの記憶を継いでいくこと」上における、坂上秋成氏の発言だ。アニメ版『AIR』をテーマとしたこの討論で、坂上は「セカイ系」というタームについて、「論者によって使い方が異なり過ぎているので (…) あまり自分で使用したくない」と前置きしつつ、つぎのように述べている。


“(セカイ系について)自分なりに最小限の定義をするとすれば、「物語に巨大な余白を作る作品」ということになると思います。意図的に説明不足になっている箇所を作ることで、論理や設定よりも感情を優先させてしまう技法と言ってもいい。(…) 「とにかくそういうものなんだ」と消費者に納得させる構造を持っているものをセカイ系と言うべきかなと、最近は思っています。” (『Mercaβ03』p.31。括弧は引用者注)


坂上のこうした「セカイ系観」には自分も同意したいのだが、この定義は、先述したディレイニーの作品に対する考え方と近いものを感じないだろうか。「余白を作る」すなわち「曖昧にする」ことでかえって魅力を引き出すという方法。実際『アインシュタイン交点』やその後の『ダールグレン』などでは舞台設定やストーリー展開の注釈はほとんどない 。『ほしのこえ』や『最終兵器彼女』において社会描写が欠落していたり、坂上の言うように「『イリヤの空、UFOの夏』で、伊里野加奈がブラック・マンタに乗った過程が説明されない」のと同じように。

上記のことを踏まえると、多観的な作品設計といい、ディレイニーセカイ系的感覚を早くも先取りしていた作家だといえるかもしれない。一般的に彼はSF作家であるとともに黒人/ゲイ作家であると認識されているが、セカイ系との近似を確かめることによって、今まで言及されてこなかった新たな一面が我々の前に浮かび上がってくるのではないか。

ディレイニーセカイ系の隠れた先駆者である。その壮麗な建物を仔細に点検することによって、米国ニューウェーブSFと国産セカイ系の想像力が交錯する奇妙な「交点」を見出だすことができるだろう。


※なお、この文章は2年前に僕が参加した同人誌『麻枝准トリビュート』の有志メンバーによって運営されるブログ「sekai」( http://the-sekai.tumblr.com/) から転載しました (一部修正) 。

AIR メモリアルエディション 全年齢対象版

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アインシュタイン交点 (ハヤカワ文庫SF)

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