「内宇宙」が「セカイ」と出逢う――私の「ゼロ年代」

※以下は2018年の秋に発刊された『Rhetorica#04 ver.0.0』 (特集:棲家) に寄稿した論考の再掲です (編集部からの許諾は得ております) 。

なお本稿は、誌内のうちで直前に置かれた座談会 (「伊藤計劃連続体――一〇年代日本SFのワンシーン」) への「応答」という意味でも書かれたもので、あくまで雑誌全体の一部としてあるものです。

なので、できればぜひとも雑誌本体を手にとってもらうのを推奨します (現在在庫切れとのことですが、増刷の予定はあるそうです) 。本稿はその「判断」のひとつとしても、お読みください。
通販→
http://rheto4.rhetorica.jp/



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 私と「ゼロ年代」の出逢いは二〇一三年、高校に入学してすぐだった。

 以来、私が「ゼロ年代」に受けた衝撃、あるいは感銘とはどのようなものだったのかという問いは、いまでも奥底に流れ続けている。言うまでもないが「ゼロ年代」とは単に「二〇〇〇年代」の意味に過ぎず、それまで私は、そのディケイドの間に登場したひとつのコンテンツも知らずに生きてきた。にもかかわらず、なぜそんな人間がこの〈時代精神〉に共鳴したのか。このような問いについては単純に、「ただそういう運命だった」と答えるしかないだろう。が、それでも、私にとって「ゼロ年代」とはある「文学体験」の一種であったと言うことはできるかもしれない。

 前島賢は、「セカイ系という語の流行」を大きな「文芸運動」のムーブメントとして捉えている(注1)。「セカイ系」とは一般的に、「主人公とその恋愛相手とのあいだの小さな人間関係が、社会や国家のような中間項を挟むことなく、「世界の危機」、「この世の終わり」といった大きな問題と直結するような想像力」だとされているが、私がショックを受けたのもまた「ゼロ年代」の〈文芸=小説〉にほかならなかった。

 その意味で、講談社が二〇〇三年に創刊した文芸誌の『ファウスト』は、私にとって決定的な一撃だった。西尾維新舞城王太郎の描く「セカイ」に触れて、それまで学校の教科書に載っているものが「小説」だと思っていた固定概念がひっくり返されたし、「ハイカルチャーサブカルチャーだ、学問だオタクだ、大人向けだ子供向けだ、芸術だエンターテインメントだといった区別なしに、自由に分析」(注2)する東浩紀の「批評」を読んで、一挙に視界が開けていく感覚をおぼえた。「ライトノベルとゲームが融合した新しい小説の可能性」(注3)。『ファウスト』はまさにこの「可能性」を担い、体現していただろうし、普通の「小説」にはない刺激をもとめて、私はそれに賭け、またすがるようにして読んでいった。

 だが、同時に立ち現われてくるのは「ゼロ年代」の作品に二〇一〇年代にもなって耽溺しているという、あまりに時代錯誤で滑稽な姿だったのではないか。東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』のなかで表明している問題意識は、まさに当時おかれていた私の立場と重なっているように見えた。
 

筆者の関心は、オタクという共同体や世代集団の
考察にではなく、彼らの生を通して見えてくる、
ポストモダンの生一般の考察にある。(…)その問
題意識は、むしろ、『動物化するポストモダン
が「動物的」と描写したポストモダンの消費者
が、それでも「人間的」に生きるためにはどのよ
うに世界に接すればよいのかという、前著から引
き継がれた、複雑でそして実存的な問題と深く関
係している。

東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生講談社現代新書、二〇〇七年)


ゼロ年代」の小説やアニメ、ゲームなどへの純粋な〈オタク=動物〉だった私は、おそらくここで言われているような「人間」への回路を繋ぎ止めようともがいていたのではないか。「ゼロ年代」という「青春」を経て、自身の批評的なテーマを立ち上げようとしている裏には、こうした複雑で面倒くさい葛藤があるのだった。


また、「ゼロ年代」の「文学」に感じた圧倒的な衝撃をどう腑に落とすか、という問題に対して苦慮するなかで、小説家、文芸批評家である坂上秋成の存在が支えになっていたことも記しておきたい。坂上が「ゼロアカ道場」(注4)の最終審査で提出した論文の『クレオ―ル化する日本文学』では、柄谷行人が宣言した「近代文学の終り」――文学は社会と交点を結べないがゆえに価値を喪った――という言説に抗した上で、その解決策として、各文化圏がたがいの他者性を保存しつつ、なお政治的なものとも関係を結びうるという「クレオール化」(元はエドゥアール・グリッサンの用語)の概念が提唱される。そして純文学からノベルゲームまでを視野に、その実態をジャンル横断的に示していった。成否はどうあれ、「ゼロ年代」の議論を「文学」の側から引き受け、そこから「新しい小説の可能性」を提示しようとする姿勢に、私は強く勇気付けられた。

坂上は「ゼロアカ道場」後の別の評論でも、「新たな小説」には、①「小説の外部から言葉を持ち込むこと」、②「小説そのものを内部から複数化すること」、③「登場人物を(…)自律した存在として扱うこと」の三点が要るといった「提案」をおこなっていたが、それを踏まえて次のように書いている。


こうした議論はライトノベルビジュアルノベル
までを射程に入れた小説の拡張の必要性を示すも
のであると同時に、純文学作品を外部へと開くた
めの回路ともなる。現代の日本文学の多くはジャ
ンルの内へ内へと深化することでリアリティを獲
得しようと努めている。(…)そのような泥沼を見
限り、小説内において対話を成立させ、そこにお
ける共振によって成立する言葉こそが見慣れぬ風
景を運んでくるのだと信じるべきだ。小説の未来
は、直線的な運動ではなく、複雑に張り巡らされ
た網の目を這いずり回るような行為の中にしか存
在しない。

坂上秋成「ラズノレーチェが運ぶもの 新たな小説への三つの提案」 『ユリイカ 二〇一〇年九月号』青土社 所収)


「純文学作品を外部へと開く」という意識は、批評にせよ小説にせよ、坂上が一貫してもっているテーマにほかならず、「ゼロ年代批評」の言説を単なる「サブカル論議」に終始させることなく「文学」一般の議論に接続させようとするある種の野心がそこにはあるだろう。


 さて、高校を卒業してからの私は、次第に「ゼロ年代」の後を追うこともしなくなっていった。過去への郷愁とその時代を生きていた人々に対する羨望はほとんど無意味なことだと分かっていたし、「いま、ここ」を肯定できない自分への焦りもあったからだ。そうして自然と近代文学や過去のSF小説を読みだしていくことになるのだが、そのなかで多分私は、原初的かつ個人的な「ゼロ年代」の問いに回答を与えてくれるような、ある種の保証を探していたのだと思う。「ゼロ年代」から距離をおいてもなお、そこから完全に離れることはできなかったのだ。

 そして、そんななか出逢ったとあるSF作家は、こう言ってよいなら、私の「理想」をそのまま「実践」してみせた人物だった。彼の問いはそのまま自分自身の問いなのではないか、という錯覚ともつかない感覚に身を委ねるようにして、私は二十代を迎えると同時にその男の書く文章を読んでいった。山野浩一という作家である。ここで山野の来歴を詳述する余裕はないが、六四年に小説家としてデビューした山野は、七〇年代に「ニューウェーヴSF」と呼ばれる前衛的なSF小説群を本格的に日本へ紹介し、その後サンリオSF文庫(創刊七八年~終刊八七年)というレーベルを立ち上げることになる。


この現代社会の中にあっては、人間の意識という
ものを、日常的な、自分の周囲の生活感覚だけで
捉えることが、どうにも不可能になってきてい
る。それにもかかわらず、日本のいわゆる純文学
は、なんとかしてそれらしい情況をこしらえてで
も、その中に閉じこもろうとしているわけで
(笑)。

(日野敬三・山野浩一「始まりはからっぽの世界」 『幻想文学 季刊夏号』一九八五年、幻想文学会出版局 所収)


われわれの意識が必ずしも今、こうやって渋谷に
来る間に見たものとか接したものとかだけに向い
ているわけではなく、その間何を考えているかと
いうと、アメリカで何がおこっているかを考えた
り、何年前かの事件を考えていたり、明日何しよ
うかと考えていたり、未来とか過去とか、空間的
に飛躍したことなんかを考えたりする。そういう
意識状況みたいなものは、今までの小説では提出
できないんじゃないか。

山野浩一荒俣宏松岡正剛『SFと気楽』一九七九年、工作舎


 前述した坂上秋成の「文学」への態度と接するような問題意識を、山野は三十年以上も前から抱えていた。その想いから創刊したサンリオSF文庫は、「バラード、レム、ディック」などの「新しい傾向のSF作家」と、「マルケスバーセルミ」などの「世界の前衛作家」を同一の俎上に載せた「新しい文学運動の核」だった(注5)。増田まもるは「山野さんの思想を表しているものはなにかと言われたら、ある意味、サンリオSF文庫のラインナップと言えるのではないでしょうか」(注6)と端的に指摘していたが、その「思想」とは同時に私の「理想」ではなかったか。つまり、「ゼロ年代」の「文学」にあった「なんでもあり」な猥雑さと、しかしそこでしか感じられなかった「ヤバさ」としか形容できないようなものが、私がその時代から受けた確かな一撃であったはずだ。

山野浩一は、その混沌を「ゼロ年代」の遥か前に感受し、小説や評論、あるいは行動において、私の〈思想=理想〉をそのまま生きている。少なくともそんな風に映った。だとすれば、高校時代から抱き続けてきた「ゼロ年代」の問いの正体に漸近するには、おそらくまず、彼の言葉の聴従から始めなければならないだろう。いまの私を動かしているものは、そんな直感でしかない。が、それがなくしてはおそらくどんな解釈も生まれないはずだ。

山野については今後包括的に論じるつもりだが、まずその動機は「ゼロ年代」の体験なくしては決して立ち上がってこなかった。長くなってしまったが、以上が「ゼロ年代」に対する私の現在の距離感と心境だ。


2


 自分語りはこのへんにして、先ほどの座談会について自分なりの所感を述べておきたい。私がとりわけ注目したのは、「伊藤計劃以後」のSF周辺について語られた箇所である。伊藤について紹介の必要はないだろうが、デビュー作の『虐殺器官』から「テロ、新自由主義経済、グローバリズム民間軍事会社、環境破壊、貧困など」について、SF的ガジェットを駆使して正面から「冷徹に」扱い(注7)、二〇〇九年、三四歳の若さで早逝してから現在もなお、後のSF作家に多大な影響を与えている作家である。そして、彼が作品のなかで剔抉した問題意識を継いだ若い作家たちのことを、人々は「伊藤計劃以後」の作家と呼んだ。

 興味深いのは、こうした消息をめぐる議論のなかで、「ポスト伊藤」(伊藤計劃以後)ならぬ「プレ伊藤」(伊藤計劃以前)の不在が指摘されていた点だ。果たして本当にそうなのだろうか。なるほど、たしかに前島賢が言うように、伊藤の存在を「リアル・フィクション」、「ファウスト系」から連続する「「ジャンルフィクションのなかで書かれた青春文学」の系譜」として見ることはできるだろう(注8)。が、そうした流れよりも、私たちはまた別の「プレ伊藤」の系譜に着目したい。たとえば、岡和田晃は「伊藤計劃以後」の「思想」を継承する作家の「要件」として、次の三つを挙げている。すなわち、「一、世界史的な視野をもって、紛争に代表される「例外状態」と現在を繋ぐこと」、「二、世代間の格差を(過去の作品を参照するなどして)批評的に埋めようとすること」、「三、サイバーパンク以後の、テクノロジーや情報環境への批判意識」である(注9)。その上で、樺山三英や宮内悠介などといった「伊藤計劃以後」の作家を論じていくことになるのだが、ここでただ一人「伊藤計劃以前」でありながら、その「思想」を正確に掴んでいた「日本SF第一世代」の作家を挙げている。その作家こそほかならぬ山野浩一だった。

 岡和田は、山野の短編小説である「殺人者の空」において現れる「何度も何度も同じ地点に戻」るほかない「革命闘争」の終わりなき閉塞感に、「「世界内戦」の現実」、「複雑な現実の様態」があると言う。また彼は、山野が逝去してから発表した追悼文でも、「ISIL(イスラム国)らのテロルが日常と一直線に結びつく、混迷の時代を先取りした内容」である山野の連作短編の『レヴォリューション』を評価している(注10)。この小説は、「理想国家」の設立を目指して闘争を繰り広げるものの、しかし最終的には目的は成就せず、なおも延々に「革命」し続けるといった悲劇的な内容で、山野の小説は、彼自身が体験した学生闘争の記憶を色濃く反映させたものが多い。

  岡和田も所属していた「限界小説研究会」は、二〇一〇年に『サブカルチャー戦争「セカイ系」から「世界内戦」へ』を刊行した。そこでは、9.11以降の時代状況の変化を捉えた上で、「セカイ系」の態度に見られる「ひきこもり」を担保する余裕がなくなった現状では、むしろ、「世界内戦」に代表される戦争表象を扱うようなコンテンツに注目すべきだという論陣を張っている。伊藤計劃山野浩一は、確かにそうした「内戦」下のリアル、そしてそこから逃避できないという隘路を、鋭敏に描いた作家だった。


が、「セカイ系」に胚胎する問題の裏に「世界内戦」の状況があったとするならば、私たちはまず、その問題の内実について探ってみたい。誤解を恐れず言えば、ここで言う「セカイ系の問題」をかなり早くから意識していた作家が山野浩一だった。どういうことか。その論理を把握するために、東浩紀の『セカイからもっと近くに 現実から切り離された文学の諸問題』における議論を援用しよう。まず、「セカイ系の問題」とは何か。東は本書で、「セカイ系作品」を「重要」視していたのは「作品」そのものの評価であるというより、それを生み出している「環境」の特性に注目していたからだと述べ、「ぼくの問題意識においては、セカイ系とは、文学の問題というより、むしろ社会の問題だったのです」と率直に語っている。その上で、東は「セカイ系」とは「文学」が「社会」を描けなくなった状況下で出現する想像力だという認識から、その欠落を「文学」の立場から問題視する。


セカイ系の困難、つまり「社会が描けない」「社
会を描く気になれない」「社会を描かなくてもい
い」という問題は、オタクやライトノベル、サブ
カルチャーにとどまらず、いまでは日本文化全体
に拡がっているとぼくは考えます。だとすれば、
そのような社会において、これからの文学はどう
なっていくのか、もう文学と社会は関係すること
がないのか、という問いが必然に出てくる。

東浩紀『セカイからもっと近くに 現実から切り離された文学の諸問題』二〇一三年、東京創元社

 
この「問い」の共有から東は、「文学と社会を、それぞれの方法で再縫合しようと試みてしまっている四人の作家」を論じている。が、私たちはここまでの論脈において、第三章の押井守論を読んでいきたい。というのも、東が指摘する〈押井=セカイ系〉の問題は、実は山野の陥ったそれとも深く呼応していると考えるからである。

 一九五一年生まれの押井は、「「理想の時代」「政治の季節」の終焉」を実際に体感してきた世代だった。彼はアニメーション監督として数々の傑作を世に送り出すことになるが、東によれば、押井の作品にはその時代の断絶の感覚が強く反映されているという。その感覚はひとことで「革命の不可能性」、または「革命の失敗」と呼ばれるものだった。


両者(引用者注:『とどのつまり…』と『紅い眼
鏡』。それぞれ押井の漫画、実写映画である)は
ともに、アニメスタジオの運営のような、本来は
政治的な意味をもたない事象を、あえて全共闘
語でおおげさに描写する構造になっており、それ
は結果的に、左翼運動の歴史を無意味化する強い
アイロニーを生み出しています。/そして、それ
らの作品において、押井が執拗に展開し続けたの
が、主人公がいったん社会を変えようと決意し、
政治的な活動に身を投じるが、しかし現実にはな
にごとも起こらずにいつもと同じ日常が流れ続け
る、という不能性の物語でした。

(同上)


事実、この感覚は山野も抱くものだった。前掲した『レヴォリューション』は、押井の描くこのような作品と限りなく近い構造をもっている。既に述べたように彼もかつて「政治の季節」の只中におり、そこで味わった「不能性」が、描かれる作品世界に充溢しているのである。そして、九本の短編のなかでその挫折を繰り返し描写するさまは、自然と読者に「ループ」という言葉を喚起させるだろう。東もまた押井の「モチーフ」として、「革命」のほかに、「作品の始まりと終わりが結びつき、物語が循環して主人公がその内部に閉じこめられてしまうループの構造」がある点を指摘している。それはまた、「象徴界(社会参加の目的)」の失墜による「想像界(自分探し)」の彷徨の果てに「現実界(リアリティの崩壊)」を招いてしまう、というような構造を表していた。

そして東は、そのような「ループ」を中心に扱った作品として『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と『スカイクロラ』を取り上げ、それぞれの分析をおこなっている。ここではその分析に深く立ち入ることはしないが、両者に共通する構造は次のようにまとめられている。


両者は、ともにセカイ系の困難に捕らわれた「子
ども」の物語です。主人公は成熟するこ 
とができない。(…)押井はそのような主人公を、
同じような未成熟の子どもたちばかりがいる楽園
に投げ込んだうえで、そこからの脱出を決意さ
せ、そしてさらに失敗に終わらせる、そのような
物語を記しています。(…)おまえたちは永遠にセ
カイ系の困難のなかに捕らわれたままなのだ、ま
るで押井は、そのように観客に語りかけているか
のようです。

(同上)

 
 しかし、他方で押井は、この残酷なまでな「困難」をそのまま受け入れたわけではなかったという。東は『スカイクロラ』の分析をさらに推し進め、その無限回の「ループ」から逆説的に生じる「希望」をも見るのだった。つまり、「今回」(=「一回」)の「失敗」は決してすべての「失敗」ではないのだから、「ループを維持し、つぎのチャンスに希望を託す」といった意味において。したがって、「セカイ系の困難」に対して押井は、「不能性のなかに徹底してとどま」ることで「その反復」から「だれか」への「希望」もまた夢見るだろう。それが、押井が「不能性」から到達した回答だった。東はこの押井像からふたたび『ビューティフル・ドリーマー』の読解を開始することになる。

だが、押井がこのような態度にたどり着いたとすれば、きわめて似た状況認識をもっていた山野浩一は、この問題にどう向き合ったのだろうか。それを考えるために私たちは『レヴォリューション』からおよそ三十年ぶりに書かれることになる、山野による最後の小説となった「地獄八景」の読解から始めなければならない。先取りすれば、この作品は「世界内戦」の空気を先駆的にキャッチして小説を書いた彼が、古希を迎え、七〇年生まれ以降の若い作家たちに刺激を受けるようにして書かれることになった、「セカイ系」についての小説である。


3


 整理しよう。「伊藤計劃以後」、ならぬ「伊藤計劃以前」がいないのではないかという問題から私たちは、伊藤が作品内で描いていた「思想」を先駆的に直感していた作家として、山野浩一がいたことを確認した。これは、伊藤や山野が、同時多発的な戦争状況である「世界内戦」の問題を鋭く抉り出す作家だったことを意味する。しかし、一方で山野はまた、「社会」の機能不全とそこから生じる「革命の不可能性」を激しく痛感した作家だったという事実を、東浩紀押井守論を通して理解した。つまり、少し見方を変えれば、山野の描く「終わらない戦争」は「世界内戦」のリアルであるとともに、「セカイ系」の袋小路をはっきりと示していたと言うことができるわけだ。


 さて、議論を再開する前に、「内宇宙」と呼ばれる用語について簡単な了解を得ておこう。というのも、山野の「セカイ系」観を考える上で、このタームが大きく関連することになるからだ。この語はSF作家であるJ・G・バラードの「内宇宙への道はどれか?」というテキストから生まれ、「星間旅行、地球外生物銀河戦争、あるいはそれらの混合からなるアイデア」から構成される――つまり通俗的SF小説の意匠である――「外宇宙」ではない「宇宙に背を向ける」ものとして発案された。バラードは次のように宣言する。


近未来において最も大きな発展がおこるのは、月
でも火星でもなく、地球上である。そして探検し
なければならないのは、外宇宙ではなく‘‘内宇
宙‘‘だ。唯一の未知の惑星は、地球なのだ。/真の
意味での最初のSFは、健忘症をわずらう男が浜辺
に寝ころび、錆びた自転車の車輪をながめなが
ら、両者の関係の究極にある本質をつきとめよう
とする、そんな物語になるはずだ。

J・G・バラード「内宇宙への道はどれか?」伊藤典夫訳 『季刊NW-SF 第一号』一九七〇年、NW-SF社 所収)


 またバラードは「内宇宙」のことを「現実の外世界と精神の内世界が出会い、融けあう領域」とも呼んでおり(注11)、「バラード読書ガイド やさしいバラード」のなかで牧眞司も指摘しているように、おそらくこの短い定義のほうが「内宇宙」の本質をよりよく表している。ここでは牧の簡潔な「内宇宙」の解説に従うことにしたい。牧によれば「‘‘内宇宙‘‘とはたんなる精神世界じゃ」なく、「あなたの目の前にある風景をキチンと見よう」とする純粋な行為にほかならないという。どういうことか。少し長くなるが、以下は牧の説明である。


人間は目に映ったままを受けとめることができ
ず、脳内で変換して「外世界」「物理世界」と見
なしてしまう。/だけど、ほんとうは、外世界と
内世界がそれぞれ独立してあるわけじゃない。ぼ
くらが目にしている風景は、外でも内でもなく、
もともと‘‘融けあった領域‘‘なのだ。(…)ひとは風
景を見ているとき(あるいは生きているとき)、
自分は「内」側から「外」側をのぞいていると思
わないだろう。ただ、そこにいると感じているだ
けだ。さらに、これは頻繁におこることではない
けれど、ある瞬間に眺めている対象との距離が消
えうせ、自分と世界がわかちがたく結びついてい
ると感じるときすらある(それは空間のみならず
時間にもあてはまるのだが、ここでは詳しく述べ
る余裕がない)。‘‘内宇宙‘‘とは、せんじつめればそ
の実感だ。

牧眞司「バラード読書ガイド やさしいバラード」 『SFマガジン 二〇〇九年一一月号』早川書房 所収)


 要するに「内宇宙」とは、先入見を排してただ対象と向き合い、その照合から生じる〈直観=センス・オブ・ワンダー〉だというのである。私たちもまた、さしあたって「内宇宙」を以上のように想定しておきたい。


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 既述のように、「地獄八景」は山野浩一が三十年ぶりに書いた短編小説である。傑作選が出た際に「私の創作はきちっと完結して」いると断言した山野だったが(注12)、最近の日本のSF作家の活躍に触発されるようにしてそれは生まれた。そして、その舞台となったのは「地獄」、すなわち死後の世界だった。

 物語は、主人公の「私」――明記はされていないがおそらく男性だと思われる――が突如「地獄門」と呼ばれる巨大な木造建築の前に放り出されるシーンから始まる。そこには「私」以外にも大量の「亡霊」が群がっており、やがて「コンサートホールの開門とともに入場していく観客たちのよう」に大挙して移動していく。彼らを先導しているのは若い女性の姿をした「ツアーガイド」の霊だった。ここから「私」の「地獄旅行」の遍歴が描かれていくのが、この小説の内容だ。

「地獄」の世界について必要な知識をもとめた「私」は、さまざまな「亡霊」に導かれるままにあらゆる「地獄」を尋ねていくことになる。たとえば、いまだに前世への執着がある霊が集う「血の池地獄」は、「死の意味を知り、自分の死を考え、死はどんな場でも訪れることを理解」するために存在し、そこでは「テレビジョン画面で見慣れた東日本大震災による津波の光景」、あるいは「船上と水中から激しい銃撃が」繰り広げられる「泥沼の戦争」が、立体ホログラムのようなもので映し出される。その光景はあたかも前述した「内戦」のリアルを描いているようでもある。

後に説明されるのだが、この「地獄」とはインターネットの発達に従って、タンパク質結合によるニューロネットで構成され、脳波を通じて接続されたネット網であったことが判明する。そこは、「存在するように見えている像はコンピュータでの画像のようなものでしかないし、会話もtwitterfacebookでの書き込みを話していると思い込んでいるだけ」などというサイバー空間に近い場所として表現される。

このことは六つ目の地獄である「大叫喚地獄」へ向かった場面で意味を帯びる。ここは「人間関係に対処する」目的でつくられた「地獄」であり、「私」はそこで三人の若い霊と出会うことになるのだが、重要なのは、ここにおいて山野の「セカイ系」観が「亡霊」の口(?)を借りて語られる箇所にある。


基本的に自我の意識はさまざまな経験や知識や見
聞の受容によって、欲望とか、嫌悪とか、羞恥と
か、執着といったさまざまなコンプレックス、つ
まり複合体を構築していくことで発達すると考え
られています。昭和一桁とか団塊世代は激しい競
争社会に晒されてきましたので、そうしたコンプ
レックス系の自我が強固に居すわっていて、前世
への執着も強いようです。ところが70年代以降に
生まれたコンピュータ世代の人々には社会とか他
人への強い関与を避ける傾向があって、経験的に
得たものも、知識として得たものも、バーチャル
世界での見聞も同じように取り込んでいくので、
並列的になってコンプレックスが構築されにく
い。オタク人間とか、セカイ系といわれる自我の
あり方ですね。そうした人の意識はもともとこの
地獄世界にかなり近く、それだけ馴染みやすいと
いえるでしょう。

山野浩一「地獄八景」 大森望編『NOVA10』河出文庫、二〇一三年 所収)


 山野の言う「コンプレックス系」の人間とは、まさに彼自身とその周りにいた「政治の季節」を経験した人々にほかならず、彼らは強固に「社会」と結びついていた。他方で、それと対比される「セカイ系」の人間はその意識が薄く、過剰に並列化された世界を生きている。東浩紀はこのポストモダン下の状況において出現する「オタク人間」のあり方を「動物化」と呼称し、そこで見られる物語ジャンルの性質を「セカイ系」と言った(注13)。

 また山野は、自身のブログ上でも「セカイ系」について次のように言及している。


セカイ系というとオタク人間という卑俗なとらえ
方が一般的だが、確かにこの言葉そのものは今の
ところ卑俗なものとしてしか流通していない。だ
が、それをいえば、セカイ系と対位するコンプレ
ックスという言葉も同じように卑俗なものとして
扱われ、実際に卑俗な面が大きい。セカイ系には
社会が存在しないといわれるが、社会というもの
は家族、近所、職場や学校といった遠近法で形成
されるもので、確かにそれらとの関係はコンプレ
ックスに根付くものだろう。セカイ系ではそうし
たコンプレックス型の人間関係→社会が存在せず
いきなりセカイという広がりとの関係にエゴが対
面する。それがオタク人間といえばそうではある
が、オタクそのものは発達障害とか、パラノイア
としてコンプレックス型人間にもあり、むしろそ
れがコンプレックスと結びつくことで社会問題と
なる。セカイ系ではそれがものの見方として自己
を形成するので、むしろ自己の存在性そのものが
問題となり、「ゴースト・オブ・ユートピア
(引用者注:樺山三英の小説)でも円城塔作品で
も希薄な私が問題となってしまう。

山野浩一「ゴースト・オブ・ユートピア」、『山野浩一WORKS』2012年7月5日)


 ここでも、「コンプッレックス系」と対比されるかたちで「セカイ系」が定位されているが、先ほど挙げた東による「想像界」「象徴界」「現実界」の対応は、この山野の言葉でパラフレーズすることができるだろう。すなわち、〈象徴界=コンプレックス〉が喪われた〈想像界=エゴ〉が〈現実界=セカイ〉に対峙するといった具合だ。

 ところで、「セカイ系」は「社会がない」という意味で問題であったが、山野からすれば、それはむしろ「家族、近所、職場や学校」による「コンプレックス」から解放されたものとして肯定的に読み替えられている。ここには山野の「セカイ系」観が端的に表れているが、これはおそらく、彼の「内宇宙」観とも深く関わっている。山野は「内宇宙の構造」のなかで、「内宇宙は外宇宙と対立するものではない」、「驚異はいわば内宇宙と外宇宙との対照によって生じる」と、前掲したバラードの「内宇宙」の定義を認めながら、次のように書いている。


SFの内宇宙は原則的に日常的な意識に忠実なも
のではなく、むしろ積極的に外宇宙に対応して内
宇宙そのものを創造していこうとするものであ
る。ここで日常的というのは必ずしも本質的な現
代人の日常感覚ではなく、旧来の小説の多くに扱
われてきた人間関係や社会と人間という対位によ
ってとらえられてきたもので、むしろ本当の日常
感覚はもっとSF的な現代性と狂気を持っているも
のと考えるべきである。従ってここで創造といっ
たものも探求や発見というのが正しいのではない
かと思う。現代人の意識はもっとゆがんだ偏執的
なものであるはずだし、未来にはもっとそういう
ものになっていくだろう。

山野浩一「内宇宙の構造」 『カイエ 一九七八年一二月号』冬樹社 所収)


 つまり、山野の「内宇宙」は対象への単なる静観を越えて、アクティブにそれに働きかけることで自己そのものまで変えてしまうような循環的モチーフがあった。そして、その循環は平板な〈社会=象徴界〉に拘束されるものではなく、「狂気」を伴った〈セカイ=現実界〉との接触によって駆動される。ここでは東の押井守論で確認した「リアリティの崩壊」が、その「崩壊」の手前で自身の「内宇宙」を「発見」するといったプロセスが描かれているだろう。山野浩一が「セカイ系」に「発見」したものは、三十年以上前に彼がイメージしていた「内宇宙の構造」にほかならなかった。こうして「内宇宙」は「セカイ」と出逢うことになる。

 山野が提出したこのイメージを裏付けるように、〈内宇宙‐セカイ〉が再構築される創造性は、当のバラードが後に展開していくことになる。「内宇宙の構造」の翌年に発表された『夢幻会社』からバラードは、山野の評言を借りれば、「第一期の作品群のような無意識による心象風景としてではなく、あくまでもフィジカルな世界に展開され、識域下で形成された強力な観念によって現実世界が急変していく」(注14)物語を描くことになる。その変化はまた、こうも言い表された。「これまで内意識の奥底へ沈潜していくという、精神病理学的なイマジネーションが、現実を越えて上昇していく壮大なイマジネーションの飛翔に転化した」(注15)と。

 実は、前述した岡和田晃による「殺人者の空」の読解でも、作中の最後に「ロケットが飛ぶ」という縦のレイヤーを出していたことに注意を促していたのだが(注16)、私たちはここから山野が「セカイ系の問題」に対してとった態度こそ見なければならない。山野浩一にとって「セカイ系の問題」、すなわち「革命の不可能性」と「ループ」の問題は、「セカイ」へ「飛翔」することで変革される。いや、正しく言い直すならば、変革されうるという意志をもちながら「飛翔」するのだ。


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 私たちはここである作品を想起したい誘惑に駆られるだろう。「美少女ゲームの臨界点」と名指されたそれは、二〇〇〇年にKeyが発表した『AIR』というゲームである。三部構成からなるその作品は、神尾観鈴霧島佳乃遠野美凪という三人の女性キャラクターの「攻略」を順に進めていくことになるのだが、二部以降はほとんど観鈴を中心に物語が展開していく。ここで『AIR』のストーリーを仔細に追うつもりはない。その代わりに、私たちは佐藤心の『AIR』論である、「オートマティズムが機能する2 すべての生を祝福する『AIR』」から、本論とこの作品の関係を考えてみたい。

第一部の観鈴シナリオにおいて主人公(プレイヤー)は、「「もうひとりのわたし」が「空にいる」という「悲しい夢」」――佐藤の言う「内閉世界」――に苦しめられている彼女をその身の消滅をもって救うことになる。が、その時点では「夢」の全容すらほとんど判らないまま終わってしまう。第二部以降、その秘密が徐々に明らかになっていくのだが、佐藤によると、その「内閉世界」はそれぞれ時間と空間の二つの軸に「開かれていく」という。

まず、第二部において開示されるのは「過去」である。この章では第一部から千年前の物語が描かれ、そこでは「翼人」という一族の末裔である女の子が登場する。「翼人」の種は忌み嫌われる存在として扱われており、その女の子も最終的に、呪詛を浴びせられた末に命を落としてしまう。とはいえ、その精神すら絶えたわけではなかった。「翼人」は自身の「記憶」を後の子孫に承継する能力をもっていたからだ。しかし、それは同時に死んだ女の子の呪いをも引き受けることを意味する。そして、その血を受け継いだのがほかならぬ観鈴であり、彼女の見る「夢」はここに起因していた。以上が第二部で明かされる「過去」の概要である。

第三部で『AIR』の舞台は現代へ帰ってくるのだが、ここでなぜか視点キャラは「カラス」に転移してしまい、みるみる心身が弱っていく観鈴と彼女を扶助する母親代わりの晴子が本物の「家族」になっていく過程、そして最後に待ち受ける観鈴の死を、無抵抗にただ傍観するだけの存在となる。では、ここにおいて開示されるもの、「開かれる空間」とはいったい何なのか。


ところで観鈴の「内閉世界」を外に開いていたも
うひとつのレベルとはなにか。「AIR」編(引用者
注:第三部)にたどりつくことで私たちはそのレ
ベルをようやく理解することができる。観鈴
「内閉世界」を開いていたのは「空」である。
AIR』/「AIR」のタイトル名、視点キャラが
「そら」と呼ばれる烏であることは、おそらくこ
れと無関係ではない。「空」とは、端的にいっ
て、外部である(僕らの手は届かない)にもかか
わらず内部にある(僕らを閉ざしている)ことの
表象だ。その意味で、「AIR」編が執拗に描写し
た、地上に堕落した「そら」が、ふたたび空へと
羽ばたくまでの一部始終は重要だといえる。

佐藤心「オートマティズムは機能する2 すべての生を祝福する『AIR』」 東浩紀編『美少女ゲームの臨界点波状言論、二〇〇四年 所収)


ここまでの論を追った私たちならば、ここで言う「空」に「内宇宙」、そして「セカイ」の影を見出すことも難しくないはずだ。佐藤は、「そら」は単なる傍観者である一方で、「観鈴の幸せな「記憶」」と「プレイヤーのメタ的な「記憶」」を携えて「空」に向かうと言い、こう続ける。「飛翔する「そら」が伝えるのは、そのような「記憶」が断たれずに、継がれていくという未来のイメージではなかったか」。とすれば、『AIR』の「飛翔」は山野浩一の描くそれと同じく、どう足掻いてもバッドエンドを迎えてしまう閉塞した悲劇性から、「空」へ上昇することで祈りをこめつつ突破されるだろう。そして、私は山野の読解を通してまた「ゼロ年代」へと連れ戻されることになる。


最後に、もう一度だけ自分語りを許してほしい。九七年生まれの私が「ゼロ年代」に出逢い、初めて本当に好きだと思えるものを見つけ、そこでしか繋がれなかった人々とも出会い、しかし年を重ねるにつれ興味が様々に分かれてから、その感情もすっかり過去のものになってしまったと気付いた。

だが、本論の最後、私は「ゼロ年代」に帰ってきてしまった。ここに私と「ゼロ年代」との間のどうしようもない「宿命」があるのならば、やはり私はこの「宿命」からまず引き受けなければならない。「ゼロ年代」は私にとって「青春」そのものだった。では、「青春」は大人になって忘却されるものなのだろうか。いや、事実私のすべてはこの「青春」の経験から始まっている。裏返せば、「青春」としての「ゼロ年代」という原点がなければ、私はこの先歩いていくことはできない。だから私は何かあればそこへ帰り、その最初の一歩――本当に好きだったもの――を確認するだろう。私にとって「ゼロ年代」とは、そのような「記憶」として常にあり続ける。


最終章、「空」へ向けて飛びたった「そら」はこ
う発する――「帰ろう、この星の大地に」。羽ばた
き、舞いあがった「そら」は、いまや幸せと悲し
みのすべてを目撃し、作品世界を生きた、プレイ
ヤーの「記憶」の塊だとさえいえる。そして「そ
ら」はそこに帰る。「この星の記憶」を無限にた
くわえ、また新たな生命へとそれを伝え、育む、
私たちの母なる「空」に。
(同上)



(1)前島賢セカイ系とは何か』星海社文庫、二〇一四年 
(2)東浩紀動物化するポストモダン講談社現代新書、二〇〇一年 
(3)東浩紀『文学環境論集 東浩紀コレクションL』講談社BOX、二〇〇七年 
(4)二〇〇八年三月から翌年九月までおこなわれた、東浩紀講談社BOXが主催した批評家選考プログラム。優勝者は村上裕一
(5)「山野浩一自筆年譜」より
(6)国領昭彦・川又千秋増田まもる巽孝之小谷真理山野浩一追悼座談会」 『SFファンジン 二〇一八年七月号』全日本中高年SFターミナル
(7)大森望の『虐殺器官』の「解説」より。伊藤計劃虐殺器官』二〇一〇年、ハヤカワSF文庫JA 
(8)前島賢「ボンクラ青春SFとしての『虐殺器官』~以後とか以前とか最初に言い出したのは誰なのかしら?~」 『SFマガジン 二〇一五年一〇月号』早川書房 所収
(9)岡和田晃「「世界内戦」下――「伊藤計劃以後」のSFに何ができるか――仁木稔樺山三英、宮内悠介、岡田剛長谷敏司、八杉将司、山野浩一を貫く軸」 同『世界にあけられた弾痕と、黄昏の原郷――SF・幻想文学・ゲーム論集』アトリエサード、二〇一七年 所収 
(10)岡和田晃ニューウェーヴは終わらない――山野浩一を追悼する」 『SFマガジン 二〇一七年一〇月号』早川書房 所収 
(11)ジュディス・メリル『SFに何ができるか』浅倉久志訳 一九七二年、晶文社 
(12)山野浩一『殺人者の空』二〇一一年、創元SF文庫 
(13)『動物化するポストモダン』参照
(14)山野浩一「内宇宙のブラックホールへ」 『ミステリーズ! 二〇〇九年六月号』東京創元社 
(15)J・G・バラード『夢幻会社』増田まもる訳 一九八一年、サンリオSF文庫 
(16)「思い返せば、個人と社会をつなぐ中間領域を消去する「セカイ系」では、「セカイ=世界」はあくまでも「観念の世界」にとどまるものだった。ところが『殺人者の空』では観念に亀裂が生じている。ここで核ミサイルのイメージが提出されたことを忘れてはならない。」(前掲)